「第43回全国高等専門学校体育大会に出場して」

バスケットボール部顧問 遠山和之

第43回全国高専体育大会バスケットボール競技が北海道旭川市の旭川市総合体育館で平成20年8月23~24日に開催されました。平成16年度に第39回大会が富士宮市で開催されており開催校枠で出場していますが、東海地区大会を勝ち抜いて地区代表として出場するのは昭和46年以来37年ぶりです。現在の男子部員の構成は4年生4名、3年生10名、2年生10名、1年生10名の計34名で女子部員も加えると40名を超える大所帯です。顧問は、教養科の藤井先生(男子)、機械工学科の永禮先生(女子)と私の3名です。また、外部コーチとして平成16年度から静岡県バスケットボール協会東部支部長の鈴木勝氏にお願いし、チーム強化を図っています。

最上級生である4年生4人の部員にまつわる忘れられないエピソードがいくつかあります。ひとつは彼らが1年生のときの春合宿説明会直後のミーティングです。当時、高校総体に出場できる2年生以下の部員は8名。全てが1年生でした。そのうち2名が春合宿には参加できないことを表明していました。3対3の練習すらも1人休めばできない危機的な状況だったのです。ミーティングで1年生に6人では高校総体に参加することすら難しいことなどを伝えました。助かったのは、当時3年生でキャプテンだった宮地君が1人この6人の合宿につきあってくれたことです。1年生の頑張りもあり、なんとか春合宿をこなしたのです。春になると新1年生が12名も入部し、部活も活気づきました。ただ、そう簡単にチームが強くなるわけでもなく、高校総体静岡県東部地区大会では1回戦で沼津城北高校と対戦し92対62で敗退しました。自宅が浜松であったにも関わらず合宿に参加し、たった6人の後輩のために献身的に指導した宮地君の姿は少なからず現在の4年生の頭の片隅に記憶として残っていると思います。

もう一つのエピソードは、宮地君が引退し彼らが3年生で最上級生となり部長を決めなければならなかった春合宿最終日でのことです。そのときの3年生は4人。コーチと話し合った結果、2人の3年生部員のどちらかという話となり、早速この2人に「どちらかに部長になって欲しい」と伝えたのです。しかし、すぐに答えは出ませんでした。2人とも「部長」というポジションを望んでいなかったのです。その時、2人の口から出てきた言葉は「部長は大変。自分たちには務まらない。他の人はいないんですか?」だったと思います。1時間ぐらい立ち話したと思うのですが、それでも結論は出ませんでした。「彼らに頼むのは無理かもしれない。」という気持ちもよぎりましたが、最後に「大変な仕事だからこそお前たち2人のどちらかに頼んでいるんだ。」と伝え、その場を後にしました。その後、3年生同士で話し合ったのか、2人で話し合ったのかわからないのですが、翌日、現部長である早苗君が部屋に来て、「僕がやります。」と伝えてきました。1年後の高校総体。早苗君ら3年生にとっては最後の高校総体でした。結果は、東部地区大会で3回戦まで進み、順位決定戦に回り9位。初の県大会出場を果たしたのです。沼津市民体育館で大勢のギャラリーの前で9位決定戦に挑んだことは彼らにとっても貴重な体験だったと思います。試合は残り数秒で当時2年生だった森君の3ポイントシュートが決まり86対84という僅差で勝利でした。

高専大会東海地区予選は沼津が担当校で会場は富士体育館でした。地元ということもあり、何人かのOBが応援に駆けつけてくれました。初日の第5試合が優勝候補の鈴鹿との対戦でした。沼津の方が体格的には大きなチームでしたが、練習量に勝る鈴鹿の方がディフェンス力、シュート力ともあきらかに上と考えていました。もちろん、この試合に勝たなければ全国大会出場は果たせないので全力で挑みました。勝敗のカギになったのは第3ピリオドでの3年生の吉田君の活躍でした。普段の試合では10点程度の得点の彼が鈴鹿戦では19得点も挙げたのです。うれしい誤算でした。ディフェンスでは、早苗君です。彼が鈴鹿の5番を徹底的にマークしてくれたおかげで鈴鹿にリードを許しませんでした。初日に鈴鹿に勝利したのですが、2日目の岐阜戦、豊田戦も気が抜けない試合でした。岐阜戦は、第3ピリオド終了時点で51対53、岐阜がリードしており、負けてもおかしくない試合でした。第4ピリオドになって、岐阜の得点が止まり、4年生の青島君、3年生の渡辺君らが得点を重ねたこともあり、最終的には、20点差で勝利しました。「東海地区大会での優勝」、早苗君が部長という重責を引き受けて1年半後の快挙でした。早苗君には計り知れない様々な苦労があったと思います。が、それらが報われた時だったのではないかと思います。

私がバスケットボール部の顧問になって20年余りの月日が過ぎました。最初の10年間は初代バスケットボール部顧問で恩師である三ツ井東司先生に指導を仰ぎながらの手探りの部活動指導でした。「苦しい時こそ頑張れ!」が先生の口癖でした。今でもときどき第1体育館のフロアに立つとその言葉を思い出します。東海地区大会に優勝し、全国大会への出場が決まった夏、たまたまコーチの鈴木勝氏に誘われて中体連の県大会を観戦に御殿場市の体育館に出かけた際、たまたまお孫さんの応援に来ていた三ツ井先生と数年ぶりに再会しました。何の準備もなかったのですが、「おかげさまで念願の全国大会への出場を果たしました。」と直接報告することができました。全国大会直前の週末は、鈴木勝氏のおかげで強豪校である暁秀高校、伊豆中央高校、そして、2009年の全日本総合選手権に東海地区代表として出場を果たしたイカイのメンバーらが練習試合に胸を貸してくれました。また元全日本男子監督の小浜元孝氏(現イカイレッドチンプス監督)に、練習試合直後に指導を頂いたのは、顧問である私にとっても忘れられない出来事となりました。合宿では、アメリカ帰りの鈴木悠氏(イカイレッドチンプス・ヘッドコーチ)から基本的なプレーについて全くのボランティアで指導して頂きました。このように様々な人のサポートもあり、37年ぶりの全国大会出場を果たしました。来年は沖縄で全国大会が開催されます。2年連続で出場できるよう頑張りたいと思います。

最後になりましたが、この場をお借りして全国大会参加の折には同窓会の皆様から多大な参加費補助のご支援をいただきましたことに厚く御礼申し上げます。有り難うございました。

ページの先頭へ